さて、「九州・沖縄編」で日本国内を見てみたこの項、並べてみよう。
北海道…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/25/105821
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4…本命「北海道の中世墓」、だが何故か「長方形墓と楕円墓が併用」されている、そして…」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/08/130357
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがき…ならその「北海道の中世墓」事例を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/13/210344
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがきのあとがき…これって早い話、「金掘衆や場所の姿を投影しただけ」なのでは?」…
※…参考…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/10/195717
「ゴールドラッシュとキリシタン-34…最新キリシタン墓研究と「火山灰直下の墓」の共通点についての備忘録」…
東北…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/16/192421
「北海道中世史を東北から見るたたき台として…東北の中世墓の傾向や宗教北上の傾向を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/28/195142
「北海道中世史を東北から見るたたき台として、東北編のあとがき…津軽側と南部側の差異を再確認」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/03/05/111841
「お陰様で㊗50000アクセス、なので地元ネタ…「十字型火葬墓」がある場所はどんなとこ?」…
北陸…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/20/195630
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−2…東北の延長線上で北陸の傾向を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/02/201220
「北海道中世史を東北から見るたたき台として、北陸編のあとがき…ならば「方形型火葬墓」を並べてみよう」…
関東…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/26/195206
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−3…東北の延長線上で北関東の傾向を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/01/24/190914
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−7…南関東はどう?「関東編(2)」を確認」…
中部・東海…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/12/08/210411
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−6…信濃や伊勢はどうか?「中部・東海編」を確認」…
近畿…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/02/25/194855
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−8…本命?「近畿編(1)(2)」を確認」…
中国・四国…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/23/194835
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−5…折角だからの「四国編」」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/03/08/225208
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−9…懲りずに「中国編」」
九州・沖縄…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/03/15/205006
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−10…到達、これが最後の「九州・沖縄編」」…
そして、予備知識として…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/02/04/103246
「中世墓はどう捉えられているか?…「事典」で「山」たる基礎知識を学ぼう」…
以上…で終わったら、何をやってきたか?解らない。
なら、分別してみよう。
予め…
開始時点で書いた様に、カウントはある程度明確に土葬か?火葬か?記載ある「発掘事例数」の比較である。
百基検出しても発掘事例として1なら1でカウントしている。
何故ならば、
・屋敷墓の様に検出数が低い事例が、大規模墓域に潰されてしまう…
・大規模遺跡の場合は一度の発掘では終わらず、自ずと事例数が増えてくる…
こんな理由で代数的にカウントしているので、総数基準で表した場合とでは差は出てくるだろう。
筆者的には、まずは概ねの傾向を掴む事と、特異点的な墓制の抽出が最大の目的なので、代数で構わない訳だ。
これが今後の叩き台となれば良いのだ。
では、「土葬(発掘事例)率」として…
・9割以上…赤マーク
「東蝦夷地」、佐賀、長崎、沖縄
・9〜8割…黃マーク
「西蝦夷地」、愛媛、福岡、大分、熊本、宮崎、鹿児島
・8〜7割…緑マーク
「道南」、「南部」、岩手、山梨、香川、岡山、山口
・7〜6割…靑マーク
「津軽」、三重、奈良、大阪、島根、広島
・6〜4割(殆どイーブン)…マーク無し
秋田、山形、新潟、富山、茨城、栃木、群馬、千葉、東京、神奈川、長野、岐阜、愛知、滋賀、京都、和歌山、兵庫、徳島、鳥取
・4割以下(火葬が強い)…紫マーク
宮城、福島、石川、福井、埼玉、静岡、高知
こんな感じである。
見難いのはご容赦を🙇
敢えて、途中で行った「北海道3分割」「青森二分割」はそのまま使ったが、旧国別で更に細分化すれば、若干の動きの差は出るかと思う。
見ての通り、最もカウント数が多いのが「ほぼイーブン」、京都以東の大都市圏がそれに当たり、北陸,関東から南東北掛けてが火葬が強く、徐々に京都から離れると土葬の比率が高くなっていく傾向は見れそうだ。
また、火葬が強い地域と一致しそうなのが
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/12/08/210411
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−6…信濃や伊勢はどうか?「中部・東海編」を確認」…
ここで書いた「T型火葬墓」の分布。
何故か南都奈良周辺の「長方形型」からの派生なのか、伝播過程で吸気穴が付くように変化した上で拡散,増殖した感じなのか?
火葬墓形態は、京都〜日本海側全体に掛けては不規則土坑に集石が目立つ。
何故そんな差が生まれたのかは解らないが、伝播媒体によるのだろうか?。
ただ、ここは言っても良いのではないだろうか…
「そんな変遷をしても、隣地域との繋がりはある」…だ。
特異点的な少数を除けば、いきなりドンと変化したり、墓制が極端に違っていると言う感じではない。
伝播媒体が徐々に伝えて、それが隣地域へ影響を及ぼし拡散した…こんな様は見える気がする。
要は「日本中繋がり無き地域は無い」とも言えそうだ。
比率の違いは、伝播速度の違いでもあるかも知れないし、比較的早めに伝播可能な日本海ルート側の火葬墓の形が似通うのも、そんな伝播媒体の差とも見えなくもない。
さて、この項で問題視した「方形配石火葬(荼毘)墓」にも触れねばなるまい。
北海道
・余市町「大川遺跡」
・伊達市「オヤコツ遺跡」
ここからアイノ文化の起点…こんな見解があるが、上記を見てどうだろう?
今迄各項で散々書いてきたが、
・元々は平安で既にある「方形配石墓」からの派生で、「方形配石墓」自体は配石の小型化や連続区割りら簡素化が起こり、中世末位には消えてゆく…
・特に、それまで他所で火葬(荼毘)後収骨→蔵骨器へ入れる→配石中央へ蔵骨器を納める→配石し五輪塔,宝篋印塔を建てる…こんなプロセスから配石利用し火葬(荼毘)を行う様になったのではないか…
・それは運用年代から鑑みて北陸の石道山,医王山,白山らの修験の手により始まり、運用され続けた…
・戦乱らの理由により、一部が地域脱出の上、他地域へ移動し伝播させたのではないか?…
・伝播過程では、京都(比叡山当山派),出羽三山ら大集団には定着せず、飛び越えた地域へ飛び、船での移動を考慮する必要があるだろう…
・北海道だけではなく、
松江市「下がり松遺跡」 室町後半…
東広島市「別所古墳群」14~15世紀…
鞍手町「山鹿城跡」 中世後期…
豊後高田市「ナシカ谷遺跡」14世紀…
と、西日本にも出現し、北海道と似た時代が想定されており、活動(又は回避移動等)は北だけでなく西へも行われている…
これらを鑑みれば、最早北海道固有でも、北方由来でもないのではないかと推定しても良いのではないだろうか。
再び敢えて問う。
・吾妻鏡らに畿内から放逐された悪党の記述があり、それは新羅之記録上では渡党の祖と記述される
・中世、法華宗の日持や武田信広の北陸からの招聘も含め、僧が北海道へ渡った記述はあるのに、何故北方由来を語る必要があるのか?
・厚真では「修験の影響」を示唆している。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/06/201803
「北海道弾丸ツアー第三段、「厚真編」…基本層序はどう捉えられているか?を学べ!」…
我が国固有の宗派であるのに、何故北方由来とするのか?
・特に「オヤコツ遺跡」の立地を見ると、
直ぐ北にあるのが「有珠善光寺」。
それに隣接する様にあるのは、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/04/18/105718
「時系列上の矛盾&生き方ていた証、続報30…まだまだあった伊達市「有珠4遺跡」に広がる「はたけ跡」」…
畑跡だ。
畑跡はここから西へ、入江高砂貝塚→旧虻田町→森町方面へ駒ケ岳火山灰(Ko-d)直下で検出している。
これがアイノ文化とリンクするのか?
だから我々はこういう。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/11/201720
「修験らの影響を加味した場合「消えた中世」はどうなるのか…現状迄の素案の一つとしての備忘録」…
そう、「オヤコツ遺跡」の方形配石火葬(荼毘)墓こそ、北陸の修験の移動や墓制伝播の証ではないのか?…と。
それは畠跡らで「極本州に近い文化で暮らしていたのではないか?」へ直結する。
そもそも論、「本州以南の実績との比較検討をやったのか?」だ。
北方ばかり見て、やってないのではないか?
現に「方形配石火葬(荼毘)墓」は国内に存在し、北方よりより近い時代にそれはあるのだ。
ド素人の我々が見つけられる物を、専門家が見つけられない訳はない。
つまり、恣意的に比較検討をしていない…そう言わざるを得ない。
また、「十字型火葬墓」に関しては秋田周辺の他には、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/02/201220
「北海道中世史を東北から見るたたき台として、北陸編のあとがき…ならば「方形型火葬墓」を並べてみよう」…
・上ノ国町「夷王山墳墓群」…
・市原市「新地遺跡」…
近似として、
のみで、西日本では確認する事が出来なかった。
何らか古い形から変遷したのだろうか?
この「十字型火葬墓」については、秋田県内で「火葬施設→火葬+埋葬」の変遷が見られる。
つまり、「方形配石墓→方形配石火葬(荼毘)墓」の変遷が他の事例として有り得る事を裏付けるものとも言えないだろうか?
この辺は古代火葬墓の傾向を更に確認していこうとは考えている。
では、遺物…
まずは「垂飾」。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/03/15/205006
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−10…到達、これが最後の「九州・沖縄編」」…
」…
・大和町「久池井一本松遺跡」 …
この2事例は記載を確認出来た。
「九州・沖縄編」でも書いたが、螺旋状を論ずる前に、「垂飾」そのものを論ずるべきではないだろうか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/10/180435
「真に守るべきものは?…東北史のお勉強タイム-5」…
ここで紹介した「切り紙」だが、特に高野山周辺で発達した様だ。
理由は「周辺で米があまり採れず、藁が潤沢でない」とか。
結界に使うべき「縄」が限られる為に、大陸発祥の「切り紙」を代替したところから発達したらしい。
これは邪推ではあるが北海道では、
・藁は無い…
・紙も製造技術伝播していない…
よって中世、潤沢に使える状況には無いだろう。
よって代替に鉄線を利用…
こんな考え方も出来るのではないだろうか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/02/28/080712
「時系列上の矛盾…ユカンボシC15遺跡出土の祭祀具等木工品は「本州産木材」」…
平安(擦文文化)期、不思議と祭祀具に持ち込まれた「ヒバ(アスナロ)、スギ」が使われている。
本州から持ち込まれた鉄線や鉄の母材を代替利用するなら、鍛冶は行われていたので「撚る事」は可能。
まぁ邪推はこの辺迄。
いずれ、螺旋状以前に「似た形状での垂飾」副葬事例はあると言う事だ。
また、「ガラス玉」も強調されているアイテムではある。
だが、北海道以外では「数珠」としてガラス玉が副葬されるケースは多々ある。
畿内の様に「木工技術」が確立された地域では木製の数珠玉もある。
九州周辺ではむしろ主流は「ガラス玉」「水晶玉」又はその混成。
北海道では、近世実績から「シトキ,タマサイ」と判断される様だが、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/07/063354
「北海道弾丸ツアー第三段、「平取編」…「何故古い物の展示がないか?」には、明確な理由が理由がある!」…
中世迄遡る「伝世品」が皆無な中で、それを「シトキ,タマサイ」と断定可能な検証は行われているのか?
これが上記迄の「修験に関する」記述を読んで戴ければ、中世ならこんな話は成立するだろう。
「巫女の数珠」。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/09/051702
「羽黒山鏡ヶ池に眠る「羽黒鏡」とは?…出羽三山信仰の核の一つを学ぶ」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/18/061134
「和鏡特別ミッションの続報…「国見廃寺」と俘囚長安倍氏、そして道具に対する解釈は?」…
和鏡も同様で説明可能。
さて、如何であろうか?
改めて、北海道…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/25/105821
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4…本命「北海道の中世墓」、だが何故か「長方形墓と楕円墓が併用」されている、そして…」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/08/130357
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがき…ならその「北海道の中世墓」事例を見てみよう」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/13/210344
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−4、あとがきのあとがき…これって早い話、「金掘衆や場所の姿を投影しただけ」なのでは?」…
ついでに「チャシ・中世城館」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/21/204519
「余市の石積みの源流候補としての備忘録-8…中世城館資料の北海道版「北海道のチャシ」に石垣はあるか?、そして…」…
今のところ、全国の中世墓を俯瞰してみた限り、明確な差があるか?と問われれば「見当たらない」としか答えようがない。
似た事例が有り過ぎるのだ。
それに、北海道の特殊事例と着目されるもの(遺物,遺構含め)は、何故か全体像の中の一部「特異点」をピックアップしている様にしか見えないのだ。
仮にそこが「文化の分岐点」とするなれば、「その後に事例は増える」のではないか?…現実にはそれが顕著に見えるケースは殆ど「無い」。
伝世品も伝承江戸末期位迄が限界で、中世との繋がりを立証出来るところまでは至らない。
「疑問」しか出ない。
まぁここはあくまでもスタートライン。
これから最新版でどの様に解釈されているか?らも見てみようではないか。
疑い深いだろうか?
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/19/204031
「建築系論文に見られる「時空のシャッフル」…「学術」と「観光」の区別はあるのか? ※追記有り」…
こんな事がまかり通るのだ。
疑い深くもなる。
仮に我々の主張の可能性が高まるなら、北海道研究の致命的欠陥は「日本全体との事例比較が甘過ぎる」事になるのだろう。
まぁ我々が気付く程度、先行論文があるハズだ。
無いとしたら…そっちが恐ろしい。
参考文献: